アップルはなぜコンセプトモデルを必要とする組織を作らないか

アップルはなぜコンセプトモデルを造らないか


これを、こう問い直してみる。
「なぜアップルにはコンセプトモデルが必要ないのか」と。


それはやはりアップルという会社が、スティーブ・ジョブスというスーパースターに決定権を委ねることでそのイノベーションを可能にしている、超トップダウン型の組織だからだろう。
そしてその頂点に君臨するジョブスの最大の関心はいつも、「製品のデザインの純度をいかに保つか」ということに向けられているように思う。それは、ジョブス本人が描くイメージと実際の製品が完璧に一致しているという意味においての、デザインの強度である。


デザインの神は細部に宿る。
そしてその細部の完成度は、そのデザインを最初に熱望した人物が、その実現に対してどれだけの執念を燃やせるかにかかっている。
そのデザインが正しいかどうかという判断は、究極的にはその個人の中でしかできない。
それが時代を変えるようなデザインであればなおさらだ、とジョブスは考える。
だからジョブスは、その判断基準を自分一人におき、その基準を全員に強迫できるような組織を作ることで、製品の完成度を担保しようとする。


しかし普通の会社組織では、このような個人の理想のイメージを目指してひとつの製品を作るというようなスタイルが採られることは稀だろう。
プロジェクトが進むにつれて多くの人が関わるようになると、当初提案されていた理想は、さまざまな事情により2転3転していく。
表向きはそれなりに民主的とされる方法で多くのデザインが決定されていくが、その決定権が事実上誰にあるのかは分からなくなっていく。
目に見えない現場の力学によって、製品の純度がどんどんと削られていくことは、実際非常によくあることのように思う。


そこで企業は、その最終イメージを明確に共有するために、コンセプトモデルを作ろうとする。
特にIDEOのような集合知によるイノベーションを目指す企業には、コンセプトモデルがもっとも大事になってくる。
フラットで民主的な組織でイノベーションを求めるなら、早い段階での仮説の検証作業はかかせないからだ。
組織の善意と、普遍的なデザインこそを信じる企業は、確かにそうするだろう。


だが、ジョブスのいるアップルは違う。
それでは遅い、純度が足りない、馴れ合いは不要だ、革新は起こせない、と考える。
たとえ集合知によって良いコンセプトモデルができたとしても、それを完全な製品へと落とすためには、やはり強力なトップダウン方式の意志決定が必要であると考える。
組織の善意など信じず、自分の感性に絶対的な確信を持つジョブスは、だからコンセプトモデルを否定する。
強烈な欲望を燃やし続ける自分の狂気さえ絶やさなければ、あの素敵な角丸をいつでも実現できると信じている。


絶対的な個人の欲望を、圧倒的な純度で実現していくための組織。それはともすると諸刃の剣だ。
しかし、成功を続ける限り、ジョブスが理想の炎を緩めることはないだろう。
他の誰にも真似できない、このジョブスの傲慢さこそが、アップルの製品にあの高潔さをもたらしているということは、やはり否定できない。